同人雑誌『まんじ』寄稿文書一覧

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135号掲載「キャンペーンソング・過疎」

キャンペーンソング『過疎』(→pdf でもご覧頂けます)

→2015年4月24日『全国農業新聞』で取り上げられました(pdf)


私の作った歌の中に「過疎」というものがあります。今から40年ほど前に大学の学園祭に所属していたサークルから依頼されて作った次第です。サークルが取り組んだテーマは、「山地(やまち)酪農」でした。
従来、牛は牛舎飼いや牧草地での放牧が一般的な飼育方法でした。そして、国土の70%を山林が占める日本では、平野部での酪農は物理的に無理と考えられていました。
一方、1960年頃に植物生態学者、猶原恭爾(なおはら きょうじ)博士は、山林で牛を飼う手法を提唱されました。それが「山地酪農」です。当時の山林は、輸入木材の台頭や厳しい就労条件などの問題で荒廃化が進行し始めていました。(1964年木材輸入の全面自由化)
このような中、先生は「急峻な山地でも日本芝や葉草など、その土地に自生している草を植えることにより、餌場としても優れた安定な草地を作り出すことが出来る。さらに、その草が台風や大雨に際しても土砂流亡を防ぎ、良好な環境を取り戻すことも出来る。」と「山地酪農」の可能性を広く説かれていました。まさに、70%の山林を逆手に取った発想です。
サークルのメンバー達は、いち早く「山地酪農」を実践している熊本県小国町へ訪れることになりました。メンバーが作成したビデオの中で40年経った今でも印象に残っている映像と言葉があります。それは、山林で牛を飼い始めた家族のインタビューの中で、おばあさんが「今まで、畑の雑草として厄介者の葉草を牛の餌として、山に植えるとは夢にも思わなかった。」と話す姿です。
また、サークルでは、小国町の離農者の増加による「過疎化」にも注目をし、未来志向の「山地酪農」をテーマとしつつ、現実問題として存在する「過疎化」を、文化祭を通して知らしめたい。そして、その効果を醸し出すテーマ曲の依頼が私にされました。
あれから40年、「山地酪農」は、残念ながら全国的な広がりには至らず、自然と調和する酪農法として、岩手県岩泉町などで引き継がれています。
しかし、現在、再び、脚光を浴びる可能性が出てきています。
それは、近年、繁殖牛の仔牛が1頭、60万円強の相場で推移しており、牛の平均的な肥育期間(約20ヵ月)を考慮すると、仔牛の肥育期間(8~10ヵ月)の方が遥かにその利益率は高く、魅力的な経営と考えます。
そして、更なる経費削減を図るため、その飼育を増加する「耕作放棄地」に求めました。「耕作放棄地」での飼育は、そこに自生する草木が餌になるため餌代は、一般飼育の1/3に抑えることが出来、さらに自然の中で育てるためストレスが無く、丈夫な仔牛を育てることも出来ます。加えて、「耕作放棄地解消」にも役立つなど、新たな農業・農村のビジネスモデルとして注目されています。
この「耕作放棄地」での成功事例が広まることにより、同じ様な手法を持つ「山地酪農」に、いずれシフトすることは、自然の流れではないでしょうか。

このような光明を見出すことが出来ずに過疎化が進んでしまった集落や市町村が見受けられ、近年「限界集落」や「消滅市町村」という造語を耳にするようになりました。
「限界集落」とは、社会学者の大野明氏(高知大学教授)が1990年頃に提唱したとされています。過疎化や高齢化などが進む中、経済的、社会的な共同生活が、その集落単位ではできなくなる恐れがある集落を指しています。
また、2006年の総務省の調査によると、過疎地域などの62,271集落のうち、10年以内に消滅する可能性のある集落が422、10年以降に消滅する可能性のある集落は、2,219と予測され、「消滅市町村」と称されています。
急速な地方(農山漁村)の衰退が進む現実が存在しています。
このような状況を踏まえ、安倍晋三首相は、地方の人口減少や地方経済などの課題に国を挙げて取り組むため、2014年9月3日に行った、内閣改造で「地方創生」の担当大臣に石破茂衆議院議員を任命し、そして、首相みずから本部長とする「まち、ひと、しごと創生本部」を立上げています。
しかし、真の地方創生は、農山漁村の振興が図られて、初めてなし得るものと考えます。
そのため、第一次産業である農林水産業を主管する農林水産省には、ハード・ソフト面での多様な支援事業を起こす必要があると考えます。
先般、農林水産省にその一つとして、限界集落や消滅集落防止の警鐘を鳴らすキャンペーン事業の実施を提案しました。
さらに、この事業を盛り上げるため、そのキャンペーンソングとして、「過疎」をリメイクしました。
この歌が、40年の時を経て、地方創生や農山漁村の振興に役立つことを願いつつ。